<0027 夜になりました。赤ちゃんたちは目を閉じてください。>
大きな鍋からよそった、白く温かな鶏粥が食卓に並んだ。細かくほぐした鶏肉と米粒、ブロッコリー、セロリ、ニンジンの入ったチキン・ポリッジだった。
子供たちの分は、小さくて可愛くて柔らかい、簡単にはひっくり返らないシリコン製の器に盛られていた。大人たちの前には、ハーブを振って焼いた鶏胸肉と、温めたコーンブレッドも添えられていた。
食卓の中央にサラダの器を置いてから、メイは椅子に座った。
「さあ、いただきましょう」
「ありがとうございます。いただきます」
シンシアは鶏粥をひと口食べて、ふと懐かしくなった。
「小さい頃、風邪をひくと母が作ってくれた味です」
メイは静かに微笑んだ。
「ええ。子供たちに食べさせるので薄味にしてありますから、お塩と胡椒は足してもらって大丈夫ですよ」
自分の鶏粥をあっという間に平らげたキャティは、すぐに子供たちのほうへ身体を向けた。
子供たちは鶏粥を食べることよりも、ブロッコリーを執拗によけたり、米粒の感触を指で確かめたりすることに熱中していた。
「ブロッコリーもよく噛んで食べなさい。メイ・ママが一生懸命作ってくれたんだから」
それでも、キャティがスプーンで食べさせる分まで吐き出すことはなかった。キャティは褒めたり言い聞かせたりしながら、子供たちの口へ鶏粥を運んだ。
メイはレオの口元を拭き、床へ落ちかけたスプーンを受け止めた。キャティはヘイゼルの器を少し近くへ寄せ、再びブロッコリーを食べるよう説得にかかった。
シンシアは二人を見ながら、小さく笑った。
この家に来たときは、少し緊張していた。二人の母親と子供たちが暮らす家へ、客として招かれたのは初めてだった。家族のことをどこまで聞いていいのか。余計な質問で失礼にならないか。それが気になっていた。
けれど、子供たちの髪を乾かし、一緒に食卓についているうちに、そんな考えはいつの間にか薄れていた。
シンシアはブルックリンにいる両親を思い浮かべた。
兄と自分が小さかった頃も、きっとこんなふうだったのだろう。誰かが食べさせ、誰かが拭き、誰かが小言を言い、誰かが笑っていたのだろう。
食事が終わると、メイはデザートにピーカンパイを出した。
ひと口食べたシンシアが、遠慮がちに尋ねた。
「このパイ、ご自分で焼かれたんですか? すごくおいしいです」
メイはフォークでパイの先を少し切って食べながら、何でもないことのように答えた。
「いいえ。子育てしながら、こんなものまで作っていられませんよ。パイは買ってきたものです。でも、鶏肉は私が焼いて、煮ました」
シンシアは急いでうなずいた。
「焼いた鶏肉も、とてもおいしかったです。リー夫人は、お料理がお上手なんですね」
「ありがとう。それから、メイと呼んでくれていいんですよ」
「あ……はい。メイさん」
キャティは満足そうに笑いながら、パイを頬張った。
「でしょ? メイって、何でも適当にやってるように見えるのに、出来上がりがいいんだよ」
メイはキャティをちらりと見た。
「あなたの料理だって悪くないわよ。味が濃いのが問題だけど」
「……私、ルイジアナの人間なんだけど」
「だから言ったでしょう。味が濃いって」
シンシアはフォークを口にくわえたまま、笑いをこらえた。
夕食後、シャワーを終えて出てきたキャティは、古びたTシャツにジョガーパンツ姿だった。
湿ったタオルを洗濯籠へ放り込みながら、尋ねた。
「シンディ。次、シャワー浴びな。着替えはある?」
シンシアは自分のバックパックを探った。
「はい。これです」
取り出したのは、黄色地に黒いラインの入ったトラックスーツだった。
キャティはそれを見て、しばらく黙っていた。
「……何それ」
シンシアは真面目に答えた。
「着替えです」
「いや、それ、ブルース・リーのジャージじゃない」
「ミズ・サン=クレールにいただきました」
キャティはシンシアの手にある黄色いトラックスーツを、もう一度見た。
「……あのおばさんの趣味も、なかなか変わってるね」
レオの服についた乾いた米粒を取っていたメイが、顔を上げた。
「ルイーズさんなら、やりそうね。そうは見えなくても、愉快な人だもの」
シンシアは手元のトラックスーツを見下ろした。黄色い布は、リビングの照明の下で無駄に堂々と輝いていた。
キャティが慎重に尋ねた。
「シンディ。その、あんたを『キル・ビル』のコスプレ女にする服、気に入ってるの?」
シンシアは少し考えた。
「はい。何だか、気に入り始めてます」
「じゃあ、仕方ないね」
キャティはそれ以上追及せず、バスルームを指さした。
「空いたよ。浴びておいで」
黄色いジャージ姿で出てきたシンシアを見て、ヘイゼルとレオはきゃっきゃと笑い、手を叩いた。
楽な服に着替えてきただけなのに、それだけで面白がってくれる。そんな子供たちを見ていると、シンシアまで何だか嬉しくなった。
一緒にマットへ座り、少し積み木遊びに付き合っているうちに、壁の時計はいつの間にか夜九時四十分を指していた。
子供たちは少しずつまぶたが下がり、身体が前後に揺れ始めた。
それを見たキャティは、「寝よう」とも言わず、そのままレオを抱き上げて子供部屋へ入っていった。
メイもヘイゼルの手を引いてあとに続きながら、シンシアへ小声で言った。
「リビングでくつろいでいてくださいね。客間で先に休んでもらっても大丈夫ですから」
リビングは、たちまち静かになった。
本当に先に寝てしまっていいのだろうか。
シンシアはマットに散らばった木の積み木を、大きな音を立てないよう容器へ戻した。それからソファに座り、携帯電話を手に取った。
両親へメッセージを送った。
[今日はキャティ・フィッシャーさんのお宅に泊まります。夕食もご馳走になりました。おやすみなさい。また明日連絡するね。]
少しして、母から返事が来た。
[分かったわ。フィッシャーさんと奥さんの出ている動画、私たちも見たわよ。面白い人たちね。ゆっくり寝て、また明日話しましょう。]
シンシアは目を瞬かせた。
[動画? 私、見てないんだけど。]
[あなたたちのバンドのチャンネルにある動画よ。あなたが見てないなんて、そっちのほうが驚きだわ。バンドのことなら何でも調べてると思ってたのに。リンクを送るわね。]
すぐにリンクが二つ送られてきた。
地元のトーク番組への出演場面を、短く編集した動画だった。
シンシアはバックパックのポケットからイヤホンを取り出して耳につけ、最初のリンクを開いた。
<0028 キャティ・ブレイク・ザ・ショー>
その映像は、パンデミックが本格化する直前の二〇二〇年一月、ニューオーリンズの地元テレビ局のトーク番組で収録されたものだった。
華やかなグリッターメイクに、きらきらと輝くステージドレスをまとったリディア、キャティ、ルイーズ。当時のサテン・クレセントは三人組だった。
三人はソファに並んで座り、司会者と話していた。
白人男性の司会者が、両腕を大きく上げて大げさに驚いてみせた。
「皆さん、今夜は本当に驚きました。たった今、サテン・クレセントのトランペッター、キャティ・フィッシャーさんが、この場で結婚を発表しました。しかも、お相手は女性です。まずはお祝いの拍手を送りましょう」
司会者が促すと、客席から小さな歓声と拍手が起こった。
「正直に申し上げると、あなたがレズビアンだとは思っていませんでした」
「あはは! 厳密にはレズビアンじゃないんですよ。男性の恋人と付き合ったこともありますから」
「おお。では、あなたは……」
「世間では、私みたいな人をバイセクシュアルって呼ぶらしいですね」
キャティの迷いのない答えに、司会者はうなずいて次を尋ねた。
「なるほど。ご自身の性的指向について、悩んだことはありませんでしたか?」
「あまり悩みませんでしたね。考えてみてくださいよ。私って、こんなにオープンな人間なんですよ? 男性とも女性とも、みんなと仲よくできるじゃないですか」
客席から笑いが起きた。司会者はぎこちなく笑い、水をひと口飲んだ。
「ああ、はい……」
キャティはくすくす笑って付け加えた。
「人種も問いません」
「え……おお……す、すごいですね。つまり、誰でも受け入れると?」
「えっ?! ダニエル! 今の、引いたような顔は何ですか? 私、そんなにふしだらに見えます?!」
キャティが突然ソファから立ち上がると、両隣のリディアとルイーズが同時に腕をつかみ、引き戻した。司会者はハンカチを取り出し、額を拭くふりをした。
「あ……いえ」
「バイセクシュアルだからって、誰とでも寝ると思ってません?」
「そんなことは言っていません!」
「そもそも私が求めてたのは自由な恋愛とセックスであって、無責任な乱交じゃないんだって!」
「座って。座って」
リディアが腕を引いた。反対側からルイーズも加勢した。
「座ってください」
キャティは渋々といったふりでソファへ戻った。そして、わざと真面目な顔を作った。
「少年院にいたって話、さっきしましたよね。あそこでは、ギャングの彼氏が危ない病気にかかったって手紙をもらって、自分も感染してるんじゃないかって怯えてる子たちを見ました。それがどんなに怖いことか、分かります?」
客席の笑いが、しばらく静まった。
キャティは観客たちを見渡した。
「私たちはみんな、自分の性生活に責任を持たなきゃいけないんです。そうでしょう?」
あちこちから同意の声と拍手が上がった。
キャティは胸に手を当て、堂々と宣言した。
「私は誰にでも身体を許したわけじゃない!」
「あー、うん」
隣のリディアが額を押さえた。
「オー……キャット。プリーズ……」
「私が気に入った素敵な人たちだけが、私にこれをしてよかったの!」
キャティは舌を出し、ぺろぺろと動かした。
「キャット!」
ルイーズが慌ててキャティの口を塞いだ。
司会者は腕時計を見ると、急いでカメラへ向き直った。
「さあ、ここでコマーシャルです。チャンネルはそのまま、キャティ・フィッシャーさんが落ち着くまでお待ちください!」
動画には、当時のコマーシャルまでそのまま付いていた。
よりによって、サテン・クレセントのジャズ・ヒロイン三人が出演する、地元ブルワリーの広告だった。
画面の中のリディアとルイーズは、ビールを気持ちよさそうに飲み干した。
最後にキャティが、唇についた泡を舌先でぺろりと舐め、大げさに色っぽく囁いた。
「Oh, Feeling Good~」
色っぽく見せようと頑張りすぎて、むしろおかしかった。
十五秒の広告が終わると、カメラは再びスタジオを映した。
キャティは、まだ舌をぺろぺろさせていた。
リディアとルイーズは顔を覆っていた。司会者は口を開き、笑いが漏れて、また閉じた。
「レロレロレロ~」
とうとう司会者が叫んだ。
「キャティ! この番組、奥さんに見せられますか? 奥さんは、あなたがこんなことしてるって知ってるんですか?」
「何言ってんの? これ、スキャットだよ」
キャティはとぼけて肩をすくめた。
「フレディ・マーキュリーだって、リロレロレロリンってやってたじゃないですか」
客席のどこかで、いたずら好きな女性ファンが声を上げた。
「私にもやってくださーい!」
「じゃあ、うちの奥さんに許可もらってきて」
拍手と口笛が沸き起こった。
キャティには、まだやめる気配がなかった。
「個人的には、レモン味のクリームを先に用意しておく派です」
客席は一瞬静かになった。それから、あちこちで遅れて声が漏れた。
「おお……」
「うわ……」
リディアが悲鳴に近い声を上げた。
「キャット! この変態! バカ!」
ルイーズもカメラに向かって頭を下げた。
「彼女のことは、私からお詫びします!」
もし地元ブルワリーの社長がこの番組を見ていたなら、サテン・クレセントとの広告契約を続けるべきか、真剣に考えていたことだろう。
しかし、キャティはまだ暴走中だった。
「私が奥さんとすることなんて、別に大したことじゃなくて」
ソファの上で目を上へ向け、ひっくり返ったカエルのように両腕を広げた。
「うおっぷ。うおおおっぷ。おううううっぷ。おほほほほう」
大げさなカエルの鳴き声だった。
司会者は二度、次の質問を始めようとして失敗した。三度目にはキャティを見ず、手元の進行カードだけを見つめた。
「つまり……リディア・コールマンさんは、性的マイノリティーの方をバンドのメンバーに迎えることに、偏見はなかったわけですね」
リディアが答えた。
「防波堤で会って、加入を持ちかけた途端に、本人からいきなり打ち明けられました。私が求めていたのは彼女の性的指向ではなく、彼女の音です」
「そう。リディ。あんたが欲しかったのは、私のカエルの鳴き声だったんだよ。うおっぷ、うおおおほう。んんん、フィーリング・ソー・グッド。おううう」
司会者の進行カードが、膝の上へ落ちた。
リディアはキャティから顔を背け、冷たく言った。
「彼女がこういう変な人なのは、クィアだからではないと思います」
ルイーズもうなずいた。
「クィアの方はみんなこうなのだという、間違った偏見が生まれるところでした」
司会者はカードを拾おうともせず、ようやく言った。
「……コマーシャルです。チャンネルは……ぷふははは……そのままで……」
再び広告。
画面の中のキャティ・フィッシャーが、ビールの泡を舌先でレロレロと舐め、カメラに向かってウインクした。
「フィーリング・ソー・グーーッド」
「ママ。いったい何を見たの」
シンシアは呆然としたまま、携帯電話を取り落としそうになった。
そのとき、子供部屋の奥から短い泣き声が聞こえた。
ヘイゼルなのかレオなのかは、聞き分けられなかった。
シー、シー、シー。
あやしているキャティとメイの、低い声も聞こえた。
<0029 メイ・ルール・ザ・ショー>
部屋の中で子供がぐずっているあいだ、シンシアは携帯電話の画面を消し、静かに待っていた。
キャティとメイがシー、シーとあやすうちに、ぐずる声は少しずつ収まっていった。
リビングが再び静かになってから、シンシアは二つ目のリンクを開いた。
次の映像は、二〇二三年のものだった。
同じ地元テレビ局の深夜トーク番組だった。ただし今回は、サテン・クレセントの全員ではなく、キャティとメイの二人だけがゲストに招かれていた。
司会者が笑顔で尋ねた。
「お二人は、どのように知り合ったんですか?」
メイは少し考えてから答えた。
「ただ……隣に住んでいた黒人の女の子が、あまりにも危なっかしく見えたんです。気になってしまって。それで、ごはんを用意したり、家のことを少し手伝ったり。そのうち、いつの間にかこうなっていました」
客席に低い笑いが広がった。
「最初から恋人になると思っていましたか?」
「まったく。自分をレズビアンだと思ったこともありませんでした。そもそも、キャット以前には恋愛経験自体がなかったんです。初めてのセックスもキャットとでしたし」
客席から声が上がった。
「おおおおー」
キャティは慌てた顔でメイを見た。
「メイ」
メイは落ち着いて見返した。
「本当のことでしょう」
司会者が笑いをこらえながら、続けて尋ねた。
「それまで恋愛経験がなかったのには、何か理由が?」
「スタンフォードの経済学部に入って、一日五時間ずつ寝ながら勉強していましたので」
客席から感嘆と笑いが同時に起こった。
司会者はその空気に乗り、少し身を乗り出した。
「では……ベッドでは、主にどちらから先に——」
キャティがすぐに拳を握って持ち上げた。
「ダニエル! 今日、私に事件を起こさせないでよ」
司会者は肩をすくめて笑った。
そのとき、メイが眼鏡を少し押し上げた。
「私から襲いかかります」
短い沈黙のあと、笑いが弾けた。
キャティは上げていた拳を下ろし、両手で顔を覆った。
「オー、メイ。お願いだから」
司会者はようやく息を整えた。
「メイさんのご両親は、お二人が結婚するとき、反対しませんでしたか?」
「この人と結婚すると言ったら、あまり何も言いませんでした。いえ、正確には、あまり何も言わないようにしていましたね。だから私も、あまり何も言わずにいます」
メイは淡々と付け加えた。
「人生には、親の承認がそれほど重要ではないこともあると思います」
客席から小さな拍手が起こった。司会者はしばらくうなずいていた。
「では、彼女を愛している理由は何でしょう?」
メイは少し考えた。そして、さっきと同じ淡々とした声で言った。
「愛する理由を一つずつ項目にして説明したら、それは会計ですよね。私がいつもしている仕事です。でも、愛は会計とは違うでしょうから」
客席から、再び穏やかな拍手が起こった。
司会者は感心した顔で言った。
「素晴らしいお答えですね。それでは、お二人が幸せに暮らすうえで、特に役に立っているものはありますか?」
「ウーマナイザーです」
司会者の笑顔が止まった。
キャティはゆっくりとメイへ顔を向けた。
「……オー、メイ」
メイは何でもない顔で続けた。
「私の指は、機械には勝てませんでしたね」
司会者は口を開けたまま、言葉を失った。客席では誰かが、何度も手のひらで膝を叩いていた。
メイは平然と司会者を見た。
「それにしても、お知りになりたいことがずいぶん多いようですね。今度はミスター・マクウッドの夜のお話も聞かせてくださいませんか?」
「ええと……私は独身です」
「それでしたら、シリコンの筒がかなり役に立つと思います」
司会者は胸に手を当て、背もたれへ身体を預けた。
「おお! こんな仕返しを受けるとは。私の負けですね」
メイは首を横に振った。
「仕返しですか? 違いますよ。一人でするのも恥ずかしいことではありません。シリコンの筒を使ってみてください」
「もう結構! 降参します!」
司会者が両手を上げると、客席から歓声と拍手が沸いた。
笑いをこらえながら、彼は言った。
「メイ・リー。あなたこそ、誰よりもジャズの魂に触れている人だったんですね」
「うーん。ジャズの魂は、よく分かりませんが」
メイは少し首を傾げた。
そして両手を上げ、それぞれの人差し指と中指をハサミの形に開いた。
キャティの顔から血の気が引いた。
「メイ」
メイは両手の指を交差させた。
「ジャズをする女性には……触れていますね?」
キャティは勢いよく立ち上がり、セットの裏へ逃げていった。
司会者は笑いながら、そのまま椅子から転げ落ちた。
リビングは相変わらず静かだった。子供部屋からは、もう泣き声も聞こえなかった。
シンシアは携帯電話の画面を、ぼんやりと見つめていた。
さっき夕食の席で、ピーカンパイは買ってきたものだと平然と言っていた人が、画面の中ではニューオーリンズの一部の家庭の深夜のリビングを壊滅させていた。
そしてキャティは、その人から逃げてセットの裏へ消えた。
シンシアは携帯電話を置き、小さくつぶやいた。
「頂点捕食者は……メイさんだったんだ」
子供たちの眠る部屋のドアが、ほんの少し開いた。
先にメイが顔を出した。リビングに座るシンシアと目が合うと、人差し指を唇に当てた。続いてキャティが、身を低くして隙間から抜け出してきた。
二人はほとんどつま先立ちで歩くように、廊下を抜けてリビングへ戻った。
メイは慎重にドアを閉めた。カチリとも音を立てずに閉まると、二人は同時に壁の時計を見た。
夜十時。
メイは胸を撫で下ろした。
「助かった」
シンシアは目を瞬かせた。
「お二人も、もうお休みになるのかと思ってました」
メイは笑いをこらえるように、口元を緩めた。
「小さい弟さんや妹さんはいないんですよね? 甥っ子や姪っ子も」
「はい」
「子供が寝て、ようやく親の時間が始まるんですよ」
「ああ……」
シンシアがうなずいていると、キャティが小さく笑い、手に持っていたものをそっと見せた。
「さっき、泣き声したでしょ? レオが寝ようとしたところで、うんちしたんだよ」
キャティは、無造作に丸めたおむつを持っていた。
メイがすぐに言った。
「キャット。お客様の前に子供のおむつを突き出さないで」
「うん。片づけてくる」
キャティはおむつを持ってバスルームへ入った。中身を便器へ落とし、水を流す音がした。
しばらくして戻ってくると、おむつをくるくると巻き、ついているテープで留めた。それを黒いビニール袋に入れ、口をねじって結んだ。
ソファに座ったシンシアは、ほんの少し鼻をしかめた。自分でもそんな顔をしたことが気まずかったのか、すぐに表情を戻した。
「ビール飲む前に、おむつ爆弾をダンプスターに放り込んでくる」
メイが目を細めた。
「あなた、外でベイプ吸いたいだけでしょう」
「……まあ、それも兼ねて。子供のいる家の中じゃ吸えないからね」
キャティは玄関へ向かい、サンダルをつっかけた。
「はいはい。行ってらっしゃい」
キャティを送り出すと、メイはリビングの窓をほんの少し開けた。子供部屋のほうへ強い冷気が流れ込まないか確かめてから、ソファにどさりと座り、目を閉じた。
冷たい空気が、薄くリビングを通り抜けた。おむつの臭いは少しずつ消えていった。
黒いビニール袋は、敷地の裏手にあるダンプスターへ追放された。
外から戻ったキャティが手を洗い、窓を閉めながら尋ねた。
「まだ臭うでしょ?」
シンシアは答えを選ぶように、しばらく唇を動かした。
「赤ちゃんのおむつですから……そういうものですよね?」
キャティはうなずいた。
「そういうものだよ」
その口調があまりにも淡々としていて、シンシアはかえって、それ以上何も言えなくなった。